宗教法人

来慶山忠暘院

宇宙なんぞ内包されているよ…

宇宙なんぞ内包されているよ…

誰しもが無限に拡げる事の出来る宇宙を持っている。

森羅万象の全てを入れ包み込む事が出来るくらい、無限に拡げる事の出来る心という宇宙を内包しているのだ。

 

本来は無限に拡げる事が出来るのだが、哀しい事にある程度まで拡がると自分自身で創り上げた心の宇宙の大きさに自己満足するのか?拡大を止めてしまう。

 

不思議と自分自身で止めた事に気づく事は無い上、その状態を時間と伴に徐々に硬化させていく。無意識のうちに自分自身でせっかく与えられた無限に拡げる事の出来る心の宇宙に限界を決めて固定化してしまうのだ。

 

限界を決めてしまうとモノゴトの観方が固定化する。この固定化されたモノゴトの観方(考え方)がその人間の限界となる。(その向こう側に広がる本来観る事が出来ハズの世界を観る事はどんなにあがいても出来なくなる。)

 

 

そんな心の宇宙を拡げる事を止め固定化させた人間の了見、価値観は本当に狭いのだ。

 

 

但…不思議な事に固定化させた人間が一見「自己確立」している様に他人から見えてしまうので一目おかれる場合が多い…

 

 

他人からも一目おかれるので、当の本人は、自分自身が狭い了見でしかモノゴトを観ている事すら気づかない…気づけなくなってしまう上、更に強固に固定化する事となる。

 

 

その後の人生において自己完結すれば良いのだが…その狭い了見価値観に他人を無理にはめ込もうと始めるパターンを見受ける事が多い…

 

 

世の中を眺めるとそんな狭い了見価値観を持った者同士がいがみ合っている姿を観る事が多い…

 

 

お互い狭い了見価値観に相手をはめ込もうとし譲る事をしない…

 

 

結局、お互いが相手の力を削ぎ合う事に終始する事で、お互いの人間的成長を阻害し合う…

 

 

極論からすれば人間的成長の修行の場でも在る有限の人生の時間の浪費としか思えないのだが…

 

それも人間くささで在る…

 

 

人間生活において、自分以外の他人全てが自分に成り代わって別の人生を観せて下さる…

 

誰しも生かされている間中、五感を通じて森羅万象全てが動かしようも無いモノゴトの道理をシャワーを浴びるが如く説き続けてくれる…

 

 

自身で心の宇宙の成長を止め…了見思考が固定化した事すら気づかない人間が多数を占める世の中で在る。

 

 

そんな多数の人間が繰り広げる人間生活の営みを横浜の山の中から眺めていようと思っている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。