完璧な人間とグローバル化

現在の世の中で起こっている事を眺めると、

「非を認めた者の負け」
そんな風潮が跋扈(ばっこ)していると感じるのだ。
人間で在る限り何かしら「非」の有る事を犯す。
本来、非を犯したと気づいた時、素直に認め謝罪出来るかどうかが重要なのだ。
ところが現在の世の中では「非を認め謝罪したならば、更に非を犯した人間を叩き続ける風潮が跋扈しているのだ。それも相手が自殺するくらいまで追い込むくらいタチが悪い…
かくいう自分も日々の中で、交通事情等で約束の時間に年に数回遅刻する事も有る。謝り続けても許さない相手に出会う事が有る。
以前、「謝罪文を書け❗️💢」なんて言われ謝罪文を書いた事も有る。(現在も、忘れない様にその謝罪文のコピーを壁に貼って有る。)
その時は、正直坊主をやめて転職すべきか…くらい考えた。
そんな中で考えたのは、「遅刻を責めた方は普段から神仏の様な存在で一切ミスをしない人間…。その方の様に極力ミスをしない人間を目指そう❗」
なんて凹む気持ちを切り替えたのだ。
その後も事故渋滞で遅れて凹む事が有るが…その道を選んだ自分のミスと反省し素直に謝罪している。(学習能力欠如…)
本来、非を認めた他人を責める事の出来る人間は「非の打ち所がない完璧な人間のみ」だと思っている。世の中にそんな「非の打ち所がない神仏の様な完璧な人間」が増えてきたと最近の報道を眺め感じると共に、そんな完璧な人間がやっている、寛容の無い殺伐とした世の中、
「アメリカンナイズされた法の裁き」
「恨(はん)の思想」
「溺れた犬は棒で叩け」
そんな国内に拡がるグローバル化を感じている。
タイトルとURLをコピーしました