壊れた道具を見た時、
「痛かっただろうな…」
なんて、無機質な対象に対してふと思う…
動物や植物は無論、生命が宿る対象だが…自分個人的な感覚では無機質なモノ全てをひっくるめ1つの生命だと思っている。
特に、誰かの手を加えられた時点から無機質なモノで在っても生命が吹き込まれた存在として認知されるのは誰しもが感じる感覚のハズだ。
単なる石ころを削って佛を作れば誰しもが手を合わる対象に変わる感覚と書けば解りやすいだろうか…
大切な事は、その佛の元となった石ころに佛を観て取れるか?
くらいの話だと思っている。
八百万(やおよろず)のモノに神が宿る…
日本では当たり前の感覚だったハズだが、精神的な荒廃に伴って本来見えていたハズのモノが見えなくなったのだ。
金額をつけ数字で表す事でしか価値を判断出来ない人間が増えた…
そろそろ…数字では表せない本質を観る力を思い出す時期に来ている…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。