「やってやっている心」では無く、「役割りをやらせて頂いている心」で過ごせば心穏やかにすごせる。
日々やってやっている心で過ごしている人間を眺めていると常に不平不満ばかりが口から出ている事に気付かされる。周囲に対して口から毒を吐き散らかして汚染する…目には見えない毒物を垂れ流すぶっ壊れた原発と重なる。周囲を汚染し続けている事に気づかない限り周囲か良識の有る善人は遠ざかるのだ。先々に待ち受けているのは弱っていく自身の身体と誰にも支えて頂けない孤独と断言出来る。
役割りをやらせて頂いている心で過ごしている人間は自然と感謝が口から出る。周囲に対して接する姿は湧き出す綺麗な水源の清水にも重なる。誰しもが生きる糧となる源の水を黙って供給し続ける存在なのだ。口からは「雨が降ってくれるおかげで自分の役割りが有ります…」そんな言葉しか出ない。そんな清水が枯れては困る沢山の良識有る善人の方々に日々支えて頂ける。
やってやっている人間は自分は感謝する事無く感謝を他人に強要する。
やらせて頂いている人間は感謝する事を忘れず他人から自然と感謝される。
一日寝る前に自分の口から出た「有難う…」の回数を数えてみれば自分が「やってやっている人間」か「やらせて頂いている人間」かが判りやすく理解出来る。
理解した後、どちらを選ぶかは人それぞれにお任せする。