宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年7月26日記

山の中で考えている事…令和3年7月26日記

「人生なんぞ無理せず「こういう人間が理想だなぁ…」と自分が思い描く自分になるだけの事」

正直自分は根っからの善人で無い自覚が有る。無理して善人をやっている訳は無いが最近「善い人」と言われる事が増えた。
現在やっているのはあくまで「自分が理想と思った為りたい好きな自分をやっている」だけの事だ。
自分の場合24時間寝ている時は別として常にいろいろな役割り立場に変化する。お寺では和笑(おしょう)、嫁の前ではダンナ…子供の前では父親…等々…
別に相手に併せる事はせず、自分が思い描く「自分が寺に行った時こんな和笑だったら好きで会いたいな…」とか「自分が嫁だったらこんなダンナが好きだな…」とか「自分が息子だったらこんな親父が好きだな…」等々の自分の好きの延長しかやらない。
あくまで自分の好きの延長しかやらないのでストレスフリーな状態となる。経験上、無理して相手に合わせるとストレスに潰される事になる事を体験した。
世の中を眺めるとやりたくも無い良い子を一生懸命にやって疲れた子供…やりたくも為りたくも無い会社員をやってメンタルがやられてしまう方…やりたくも無い良いダンナや嫁をやり不平不満が爆発した方々が溢れ返っている。
誰の人生を生きているのか?そんな根本を考えた時、相手に合わせて好きでも無い事、為りたくも無い事をやったところで為りたい理想の自分とはどんどん離れていくモノなのだ。
無理せず好きな理想の自分となる。人生なんぞそれくらいの事だ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。