宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年7月27日記

山の中で考えている事…令和3年7月27日記

「他人にとやかく言うくらいならば自分で考えて自分自身で自分の場所を創り自分でやれば良いだけの事」

たまに「お寺とは◯◯在るべき…」「坊さんは◯◯在るべき…」などと言われる方に出会う。うちに来て「◯◯すればもっと忠暘院が良くなる…」なんて説かれる方もお見えになる。無論お話をきちんと拝聴させて頂きながら納得する事は素直に取り入れる。
但、あまりに高い理想を語られる方に対して「世界中には数多の如く寺も坊さんは存在するしアナタの理想に合った寺や坊さんを探すか、自分自身で出家されて理想とする寺を創り理想の坊さんとやらをおやりなさい…」と思う。
以前は疑う事無く言われる全てを取り入れ様と頑張った時期も有ったが、そんな事を言う相手は殆どが自己中でその自己中価値観の押し付けをしてくる輩だと気づいた。必死にこちら側がクタクタになりながらやると更に相手の要求は上がる…応えられないと「努力不足❗️」や「ケチ❗️」なんぞの烙印を捺すのだ。正直、ムカっ腹が立った時期も有ったが、現在は自分に対して気づきを与えて下さっただけで無く、人間の性というモノを深く教えて下さった存在だったと感謝している。その頃の自分の人間としての未熟さアホさに苦笑いするしか無いのだ。
世の中を眺めれば「アナタの為…」なんて言う輩は自分の為にその言葉を使う場合が多い。自分でやりもせず、他人の創る場所に入り込み自分の理想とやらを押し付け批評批判をする。
自分が人間だと認める方々は自分が現在何処に居るのかを弁え、自分の想いを押し付ける事無く「道理を説いて後は本人が気づくまで待つ方」だ。大きく道理を外れさえしていなければそのうち気づきそのうち成る事を知っておられるのだ。自分と他との境界線を踏み越える事はしない。無論、自分自身も仲良しの友人達の中には自分で事業を興し永年、数百〜数千人の社員を抱え営んでいる友人もいて、たまに会社に立ち寄るが友人の創っている世界だときちんと線引きしてバカ話しかしない。そんなバカ話の中にもお互い気づく事が有るから愉しいのだ。
もう一度書いておくが、「他人の場所でとやかく言うくらいならば自分自身の人生の時間を使い自分自身でおやりなさい❗️」で有る。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。