宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年8月15日記

山の中で考えている事…令和3年8月15日記

「人に話せない様なモノゴトばかりやらかし更にそのモノゴト隠すから自分の心体だけで無く周囲にまで歪みをきたす」

日々、自分の周囲に起こる人間関係に関わる事象は別に不思議なモノゴトは何一つ無く自分自身が起こした事に対する帰結だと理解出来てから歪ませぬ様に原理原則道理を外れない様に考え方行動を変えた。
自分の場合和笑(おしょう)という事も在り、仏教という2500年以上続いてきた道理の基本は身近に存在する。後は現代風、自分なりにアレンジし無理する事無く沿った生き方をすれば良いから気楽なのだ。
一般的に仏教なんてモノは時代遅れで古くさくストイックなイメージが有るが、そんなストイックで無理をしないといけないモノゴトなんぞとっくに廃れて消滅したハズだ。意味が在るから脈々と繋がってきたのだ。
そんな原理原則道理を意識する様になってから1日起きて寝るまでどこかの部分を切り取られ世の中に晒されたとしても別に恥ずべき事も無くなった。日々心穏やかに過ごす事が出来る様になった自覚がある。
人に話せない様な事をやらかし隠そうとするから表情は険しく、バレそうになれば逆ギレしたり、周囲を巻き込み歪ませ不幸な人間を量産するのだ。
そんな事に気づき実践してみて感じる事は、自分の子供にもだが自分以外の他人に人間としての生き方を説くくらいならば先ずは自分がやる事のみだとつくづく思う。
きちんとモノゴトを考え精査もせずやってもいないならば少なくとも口を噤めとも思う。
険しい表情で周囲をも不快にしている以前の自分の様な方々に対して書いておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。