宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年8月18日記

山の中で考えている事…令和3年8月18日記

「どうやって貰うか?」では無く「どうやって稼ぐか?」に意識を変える

自分以外の他人が作ったモノを如何に上手に貰うか?そんな意識レベルの低い輩が増殖した現代日本で在る。
そんな増殖した輩が創る国内社会を眺めながら、現在起こっているゆっくりした衰退後進国への歩みを感じる事すら無いというより、近場で持っている相手から上手に貰うかだけに血眼になっている輩では感じる事も考える事も無い姿から人間という存在は劣化し始めると止めどなく劣化するモノだと学ばせている。近視眼的思考では自分がそんな事を起こしている根本とは想像すら出来ない。
別に貰う事に血眼になっている輩を馬鹿にしている訳では無く、何処ぞの誰かが創作したフィクションドラマや映画を観るよりリアル社会の方が刺激的で学びが多いだけの話だ。
同門で現在熊本にて住職を勤め九州を仕切る立場に居る30年来の少し年上の人格者友人が学生時代一緒に呑んだくれていた頃、
「人間為る様にしかならないモノですよ。気づいてやった人間はそれなりに…気づかずやらなかった人間もそれなりに…」
なんて口グセの様に言っていたが当にその通りだと思う。
貰いグセのついた人間が悪いとは言わないが、食事を始めた途端自分の足元でエサをねだる飼い犬と重なって観えるのは気のせいか?

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。