「他人が人生で体感せねばならない醍醐味を奪うのは親切では無く他人の人生への単なる冒涜」
以前、現在より思慮が浅かった頃「困っている方を見つけたら困っている事を自分が取り除ける事は取り除く事が親切」と大いなる勘違いをしていた。
何時も書くが「思考が原理原則に沿った道理から外れる事が無ければ困る様な事は起こり得ない」のだ。困る状態に陥いる思考そのモノを治さない限りループの様に繰り返すだけの話なので困り事を取るのでは無くその困り事を引き起こす思考を正す事が道理という事に自分自身気づかなかった事自体アホなのだ。
虫歯になった相手の歯の治療のみを取り除く事を繰り返していただけの歯医者みたいなモノで、日々の歯磨きの大切さを説いていなかった…知っているつもりになっていた単なる愚僧だったと多いに反省している。
周囲を眺めれば生活に困っていると相談され金を貸し与えた輩は返しに来る事も無く、数年経てば同じ事どころか更に悪い状態になり悩んでいる姿を風の噂で聴く…信用信頼を得られない輩はそのうち自滅するのが道理だから致し方無い事だが…自分がやった過ちは「本来、相手が人生で体感しなければならない人生を歩む上での醍醐味の時間を先延ばししたくらいの罪を作った」だけの事だ。
諸々、冷静になって考えれば…親切と思い手を貸した事で相手の人生が好転した事はほぼ無い…徐々に依存度が高くなり挙句断れば「出来るのにやってくれないケチ❗️」という称号を幾つも頂いたが、相手への本当の思いやりが足りなかった自分自身の思慮の浅さに起因していたと現在は解る。自分が道理から外れた事をやっているのだから跳ね返り嫌な思いをするのは当たり前の道理なのだ。
もう一度書くが、
「原理原則、道理を理解し実践すれば困り事悩み事は人生に起こり得ない」
と自戒を込めて書いておく。