宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年8月25日記

山の中で考えている事…令和3年8月25日記

「会った事も無く人柄も知らない責任も取らない輩の話を鵜呑みにして人生を托す愚かさを自覚する」

これだけ教育水準が上がった現代で在っても「まだまだ御上は間違え無いと信ていた江戸時代か?」と思う事が多い。
昨日も書いたが「世間が…」とか「世の中とは…」なんて言う輩はほぼ自分でモノゴトを考える事を放棄した残念な思考を年々積み重ね岩石の様に凝り固まった状態なのだと見受けられる。
そんな岩石アタマで諸行無常の言葉は知れど意味を思慮する事も無く、人間が亡くなる姿を眺めながら自分も含め周囲では起こり得ない現象だと信じ込んでいる。
自分自身で考え自分自身の人生の取捨選択する事を放棄した輩は「自分で考えて生きている錯覚をしているだけの残念な状態」なのだが本人が気づかぬ限り抜け出す事は不可なのだ。常に誰かしらのコントロールの元におかれる。
会った事も無い人柄も知らない輩がテレビやネットの媒体を使い話す内容を自分自身で精査する事もせず信じ込み人生の方向の舵取りを決める。
それが間違えていた時、その輩がアナタに対して何の責任を取ってくれるのですか?って事だ。
悪いが自分が知る限り諸々コメンテーターや評論家の類いが誤った情報を発信し責任を取った姿を観た事はほぼ無い。政治屋連中でも「政治生命をかけて❗️」なんて勇ましい事を言った輩が辞職して潔く謙虚に生きているか?って事だ。
そんな茶番劇に付き合わされながら思考停止…ある意味脳死状態だとそんな輩の言う事が「正しい」と信じてついて行くのだ。
せっかく霊長の万物と呼ばれる人間に生まれ出でたのだから自分自身で自分の人生くらいの舵取りくらいは自分で行う事をお勧めしておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。