宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年8月27日記…

山の中で考えている事…令和3年8月27日記…

「日々きちんと自分なりに意味を精査し納得した事を話しているか」

何処ぞの国のトップが「棒読み…」とか「質問に応えられない…」などと批判を受けているが、議会での質疑応答でも質問を前もって提出し、きちんと答弁書を準備する学芸会レベルの役者を何十年も演じてきた輩にとって至難の業と思う。
自分自身で理解していない事を言葉に変えて相手を納得させる(説得する)事自体どだい無理なのだ。無理な事を理解せず演台に上がり語る輩も滑稽ならば、それすら理解せず相手に質問を投げかける輩も滑稽…エンタメ史として歴史に遺る喜劇。
お互いそんな事を理解しあっているならば虐められる事に快感を感じるマゾ、虐める事に快感を感じるサド劇場なのだ。
普段の生活でもだが子供に対して「勉強しなさい❗️」なんて言う輩に限って何の為に勉強するのかすら理解出来ていない。意識が低い輩だと「偏差値の高い学校に入れば将来安泰…」みたいな錯覚をしている。その偏差値の高い学校とやらの大部分生徒の卒業後の人生を精査もせずアタマにはチューリップが咲いているのか?とすら思う。
意味を理解していない事をいくら語っても相手を納得させる事は無理なのだ。
現代社会で言葉が重みを持たないのは「意味を理解していない輩が発する言葉では無く「単なる「音❗️」」でしか無いからだ。
そんな耳障りな「音」を聞かされるくらいならばスマホからクラシック音楽でも流しておいた方がよほど心が安まると思う。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。