宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年8月29日記。

山の中で考えている事…令和3年8月29日記。

「どれだけ他人の世話になり自分が現在存在しているか?それすら判らないならば残念な人間と自覚する事」

自分が現在やっている事は現在目の前に広がる風景が当たり前と錯覚していた事に気づいた事に起因する。
本当にいろいろな方々の世話になりながら感謝する事も無ければ、無論お返しする事すらしてこなかった事に対する自分なりに考えて現在の自分に出来る範囲で出来る事をやると決め実行しているだけの事だ。
お世話になった方々に対しては直接出来る事をさせて頂くが中には鬼籍に入られた方々もおられる。鬼籍に入られた方に対してはその方に連なる子供や孫に間接的にはなるが極力自分が出来る事をさせて頂く…たったそれだけの話だ。
現在寺を構える地域に対しても新参者を受け入れて下さった事に対する感謝をカタチに変えているだけの事…
中には「やって貰って当たり前…もっとやって貰おう…」なんて輩も居るが、以前の何も気づかなかった頃の自分の姿と重ねれば人間の成長過程…
そんな残念な思考の輩は望むモノゴトを与えなければそのうち相手から離れて居なくなる事も知った現在、日々心穏やかなのだ。
別に他人に対し迎合する必要も無く…感謝を自分に出来る範囲でカタチに変えてお返しする。
やって貰って当たり前の輩が「世間では◯◯して当たり前…」とか「世の中では◯◯して当たり前…」なんて自分のやって貰いたい事を言って来る事が有るが、
「お前の願いのその事は、その言っている世間や世の中ってヤツにやって貰えば良い事❗️自分は世間でも無ければ、世の中でも無い❗️お前はそんな事すら解らないのか❓」
と応える事に決めている。
質の悪い輩と交わるくらいならば独りの方がよほどマシで有る。
釈迦が説かれた「犀の角のようにただ独り歩め…」を自分の拠り所に淡々と自分の求める人間を目指して道を歩むと決めている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。