「目にした瞬間自分自身を高めるか劣化させるかを対比出来る力を持つ」
「言わずとも察せよ…」なんて言葉が有るが、日々想像力を磨いている相手ならばまだしも、現代人の様に母国語言語で語る映像に補足した説明字幕まで付けないと理解出来ない相手には無理な話なのだと思っている。日常生活において便利過ぎる現代に突入し日々人間の質が劣化しているのだ。
人間の能力は日々磨いていると強化されるが、現代の様に「親切」「優しさ」などと心地よい浅い言葉のみしか考えず相手に併せていくと自分のみならず相手の能力も劣化の一途を辿る事となる。
そんな事すら気づかず「言わずとも察せよ…」のスタイルをやってきたが、言ったところで理解するフリをする相手に解説字幕を付ける訳にもいかず…長い説明をする事も如何なモノかと思う様になった。自分は現在弟子を抱えている訳でも無い。弟子ならば諸々教えるだろうが、周囲にいるのは他の自分の人生を歩んでいる方々なのだ。
そんな中で出した結論は母国語言語+説明字幕まで必要な成人した相手に対して「自分からは積極的に関わらない」で有る。但、相手から請われた時は別…話したところで脳みそから言語、思考が減る訳でも無い。
1つのモノゴトを眺めた瞬間、自分を高める事か劣化させるか日々「損得」を基準に生きている大部分の方々にとっては判断するくらいは容易い事だと思う。