宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…令和3年8月7日記

山の中で考えている事…令和3年8月7日記

「自分自身の心の持ち方在り方で人生はいくらでも好転させる事が出来る。外的要因を探しているうちは何も変わらない」

人生に詰まっている方々の共通点は1つ。自分にとって悪いと思われる出来事は外的要因として自分自身を納得させようとしているという事だ。
考えてみれば外的要因を探せばいくらでも理由は見つける事は出来るし、自分は一切傷つく事も無くいのである意味一番楽な方法なのだ。ずっとその楽な方法を求めて人生を歩んできた方は、深く考えれば自分を先々苦しめる事になる「楽」という錯覚した思考状態に岩盤の様に固定される。苦しめているのは楽を望み続けた自分自身だと気づく事はマレで有る。
そんな外的要因をクセにしている輩は不平不満ばっかりしか口から吐かない。自分が勤めている会社の給与や待遇に対し文句を言っている輩を眺める度、「自分自身、それほど能力や力が有ると思っているならば自分で会社を興して自分で稼げば良い事」と思っている。ヘッドハンティングでもされ頭を下げられて入社したならばいざ知らず自分が選んで入社した輩が殆どのハズで有る。嫌ならば辞めれば良い事なのだ。不平不満だらけで生きているとそのうち身体が病に侵される。正確に書けば不平不満しか感じない事自体、心が病んでいるのだから病んだ心が身体に伝播感染するのだ。
そんなモノゴトの原理原則、道理すら自分で理解しようともせず不平不満を口から吐く事なんぞ、自分の無知痴劣さを公に晒している事自体が「素っ裸で街中を闊歩している」のとなんら変わらない事すら気づかない。そんな真っ裸で街中を歩く様な輩と関わろうとするマトモな人間は存在しない。
自分自身で不幸と思う状態を招き入れながら、責任は他に押し付け自分は悲劇役者を演じる。人間ってのはお気楽な生き物だと思う。
つまり「好転させたきゃ逆をやれ❗️」って事で有る。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。