「施す事を当たり前と思う人間を大人と呼び、施される事が当たり前と思う人間をガキと呼ぶ」
身体や年齢で大人と判断せず、1人 々 個々の人間性を観せて頂きながら精神的に大人かガキか?を眺めさせて頂いている。
自分が思う大人とは最初に記した「人間として施す事が当たり前」を前提として生きておられる方だ。そんな大人と思う方々と話しをすると、必ず何度か必ず「施される事が当たり前」のガキに取り憑かれ大変な目に遭っている。その心身ともに疲弊する大変なガキとの遭遇でガキに施す事は「砂漠に水を撒くのと同じ」と気づいておられる。
大人とガキを眺めると、
「施す事が当たり前」と思っている大人は他から施される事を有り難いモノだと感じ感謝を忘れないし、施された以上をお返ししようとする。手に入れたモノは一時的な預かりモノと考え最大限、他に活かす段取りを考える。
「施される事が当たり前」と思っているガキは施された時、一瞬感謝する素振りはみせるが、直ぐにそれ以上を要求する様になる。一度手にしたモノは絶対に手放さない。
現在、コロナ禍で大変という状態だが、字の如く大きく変わる…単純な話、変わらないといけない時期が来ただけの事だ。今回を機会にして、
「大人社会とガキ社会の極端な二分化社会が幕開けした」
と記しておく。いちいち説明せずとも時間軸が早まった現代10年かからず各々が自ずと体感する事になる事で理解出来るだろう。
仏教で説くところの道理に従って大流が流れている…