宗教法人

来慶山忠暘院

山の中で考えている事…

山の中で考えている事…

「先ずは諦観して道理から外れた本当に理不尽な事柄に対しては声を上げられる時代と自覚する」

自分の世代は「理不尽なのが世の中だ。そう思って生きろ」と教えられてきたのでそれがフツーだと信じてきた。但、冷静になって考えれば道理に照らし理不尽がまかり通る世の中の方が変なのだ。
社会システム上、組織(家庭も含める)地位や肩書きの上の人間に下の立場の人間が従属するという構図が出来ている。それは社会全体を崩壊させない為の諸先輩方々の叡智の結晶だから理解出来る。
只、立場が上の人間が従属している人間を導けるくらいの人格を有していない場合その組織(家庭)において必ず歪みが出来る。
子供は無条件に、家庭ならば親に従う…学校ならば先生に従う…を強いてきた。
子供は親を選ぶ事が出来ず…大多数一般的にロシアンルーレットの様にあてがわれる先生を選ぶ事は出来ない。親が親たる自覚が無い…先生が先生たる自覚が無い…そんな場合悲劇を生むのだ。
企業などの組織においても肩書や権威がモノを言い下の立場は上に対して従属するというより盲従する事を強いてきたが、上の立場の人間が立場を弁えていない場合が多々有り悲劇が続出したのだ。
以前、ホリエモンこと堀江氏が誰しもがフツーと信じていた権威や社会システムの理不尽に挑戦し完膚なき状態まで叩かれたが、その頃はまだ時期が早かった。最近はメンタリストダイゴが以前在学した学校や担任の権威的圧力に対して異議を発したが随分と一般の意識が変わったと認識させて頂いた。最近流行りの毒親本の発刊なんぞ以前の儒教的な「孝」が当たり前という共通認識が支配的だった頃ならば考えられない事だ。
道理から外れた理不尽は通用しないという価値観が出来つつ有るのだ。
現世に生まれ自己中…無責任…権威権力を持てばそれをカサに下を従属させ、自分より立場が上の相手には媚びへつらう様な「施される事が当たり前」と信じる精神年齢餓鬼(ガキ)の輩はこれから先どんなに見繕っても淘汰される時代になってきた。
ある意味では「他の存在を尊び、他に施す事が当たり前」と信じ行動する本当の大人の時代の夜明けを自分は歓迎する。それには個々の人間の自分の置かれた立場に対する責任という自覚が伴う事が附帯する事も記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。