宗教法人

来慶山忠暘院

山を開墾しながら考える…

山を開墾しながら考える…

モノゴトを見た時、時系列で目の前のモノゴトを観る事が出来るか?が肝要となる。

 

モノとは「者」「物」…ゴトとは起こっている事象全て…

 

 

時系列で考えるにはそこに辿り着くまでの歴史やその時に醸し出されたで有ろう社会全般の空気感…を自分のアタマの中で組み立てる必要が有るから、ある程度の「知」が無いと不可となる。

 

 

知を入れて普段からモノゴトを読み解く力を自分自身で構築していかない事には本質を捉える事は不可なのだ。

 

 

以前にも書いたが、人の世を生きる人間が起因する事象について眺めれば不思議な事は存在しない。

 

 

目の前の人に起因する事象(結果)は細い糸を組み上げて出来た太いロープの先っぽにしか過ぎない…

 

 

太いロープを眺めて組み合わせている元の細い糸を観る事が出来ないだけの話なのだ。

太いロープを削いでいくと、個々のの存在が細い糸で在り、その細い糸を組み上げたロープそのロープが現在(いま)という時代を組み上げているだけの話なのだ。

 

 

但、一見細い糸に見える個々もよくよく観ると人生の中で体感してきた経験などの細い糸が組み合わさって人格を形成している。

 

 

それらを加味しながら人に起因する事象…モノゴトを読み解きさえすれば別に何も不思議な人的事象は存在しない。

 

 

本来「何で?=何ででも」くらいの話なのだ。

 

 

現在(いま)はそんなくだらない事を山を整備しながら考える…

 

先々、考える事も面倒くさくなった時…

 

整備し終わった山で隠遁生活を送ると決めている。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。