本来宗教は「布施」で成り立っている。
布施とはあくまで気持ちで有るからうちでは葬儀にしても法事にしても基本布施の金額を定めていない。
時々、布施の金額に困って相談してくる方には、みんなが納めている目安の布施の金額を伝えはするが、必ず、
「張り切って出すのは構わないけど、その日を境に夕飯のオカズが一品減れば自分が他の家族に恨まれるから!食べ物の恨みは一生残るからダメだよ!」
なんて付け加える。
寺院運営をしている経営者という立場では有るが…
一人の坊主としてご本尊様に任せている感覚を持っている。
お祀りさせて頂いているご本尊様が、
「お前の力ではムリ❗️」
とか、
「お前に力は貸さない❗️」
なんて判断された時はあっけなくうちは潰れるのだ。
ましてや地縁も血縁も全く何も無い場所に自分が勝手に建てた寺で有る。
寺を構える10年少々前には無くても何一つ困らず地域はまわっていたのだ。
無責任に聞こえる方々もおられるかとも思うが…
この和笑(おしょう)「無常」の意味をを知っている。
自分は何かを握りしめて生まれてきた訳でも無い…
別に特別なコトをしている訳でも無い…
自分が生きながら…
生かされながら…
身につけてきたモノを活かし…
愉しいって思える事をやっているだけの事なのだ…
ビュービュー吹いている「無常」の風の中に身体全てを放り込み…
無常の風とたわむれながら…
自分の人生を全うしたい…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。