心の中で祈っています…

自分以外の他が教えて(気づきを与えて)くれる事に対して感謝だけしておけば良い事だと常々思う。

 

 

善悪の判断をするには相対的な対象が不可欠なのだ。自分自身が今という瞬間まで知らなかった事に気づくには目の前で何かしらの出来事が無ければ気づく事は無理なのだ。

 

 

どんな出来事で有っても本来は、

 

 

「教えて(気づかせて)くれて有難う…」

 

 

くらいの話でしかない。

 

 

怒り…嫉妬…慢心…卑下…心の中に常にいろいろな感情湧いてくるのが人間という生き物なのだが、そんな感情も目の前で他が起こしてくれた事象が無ければ湧いてこない。もう一つ付け加えるならば自分自身の心がその事象に囚われた瞬間から始まる事くらいの話なのだ。心が囚われている事にさえ気づけば外してしまえば良いだけの事でしかない。)

 

 

自分自身あまりに単純でくだらない、その事に気づくまで半世紀以上の時間がかかった。

 

 

 

自分自身の心に湧く怒りや嫉妬などという、自分の心に自分自身で負担をかける様な事に有限な人生の時間を割く事自体が無意味だと気づいた時から心痛も無く、お気楽な心へと変化した。

 

 

最近、他人を困らせよう…悲しませよう…とする行為をする人間に対して感じる事は、

 

 

「以前の自分が知らなかった様に、この人間も今はまだ知らないだけなのだ…」

 

 

なんて思って眺めている。

 

 

そのおかげか…腹が立つそんな感情はほぼ皆無…

 

悪気も無い何も知らない幼い子供に怒る大人はいない…

 

身体は大人に見えても善悪の判断が出来ない精神的には幼い子供と変わらないのだ。

 

 

世の中、数々の事象が発生するが、人間に起因する悪い事柄に関して言ってしまえば、その人間自身が善悪を知らないだけの話で、そんな人間に対して心を痛めるより、少々距離を取り、早く大切な気づく事を祈るくらいに留めておくべきなのだ。

 

 

言われたくらい、書いた書物を読んだくらいで気づくならば世の中犯罪と呼ばれる事象を起こす人間は皆無となるハズだ…

 

 

釈迦が2500年前に説こうが…歴代の祖師と呼ばれる方々が釈迦の説いた教えを補足しようが人間の根本は変わらない…

 

 

会った相手が求めたならば説話くらいはするが…心の中で祈る事がマイブームの今日この頃で有る。

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