宗教法人

来慶山忠暘院

悩みなんて石ころと一緒…

悩みなんて石ころと一緒…

時間はとにかく流れている訳だからモノゴト全て結果でしかない。

 

 

その結果には全て理由があるのだ…

 

 

道端に転がってる石ころ1個にだって理由が有ってその場所に存在するのだが、その事自体の意味を考える輩はそんなにいないと思う。いたとしたら哲学者的思考の変な人だろう…

 

 

たくさんの悩みを抱える現代人で有るが…悩むこと自体、言い方を変えれば「過去の結果」が出たその時点から自分の心が縛られている状態を継続しているだけの事でしかない。

 

 

バックトゥーザフューチャーの如く過去に遡ることが出来るのならばいざ知らず、極論すれば悩む事自体、貴重な人生の時間の無駄なのだ。単純に言えば石ころが転がっている理由を考えているくらいのレベルの話なのだ。

 

 

まぁ…どうしても悩まなければいけない様な悪い結果が出たのならば、その理由のみに的を絞り、自分の中で理由を理解して同じ轍を踏まぬ様にすれば良いだけの事でしかない。

 

 

何度も書くが、人間の悩みなんぞは、

「道端に転がってる石ころが何で此処にあるのか?」

 

 

なんて考えることと同レベルでしか無いって事だ。

 

 
ちょっと補足するが…

自然の営み…

天変地異…

生まれて…生きて…老いて…死ぬ…生き物に与えられた宿命…

なんぞに対しては、あがなう事なく素直に受け入れる謙虚さも必要なのだ。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。