宗教法人

来慶山忠暘院

想う事…

想う事…

時々、釈迦の時代から続く坊さんが行ずる托鉢の姿を想い描く…

現在は浄財を頂くが、本来は食べ物の供養を受けたのだ。日中托鉢に歩く事で食べ物の供養を受け、日暮れまでにその日頂いた食べ物を食す…
それだけで坊主は生命を繋いだ…
現在では修行寺で在っても朝、昼、晩と三度の食事を頂く事が出来るが、昔はその日何も食べ物の供養を受ける事が出来なければ其れはそれとして食べる事は出来ない… 本来の状態はそんなモノだった…実にシンプルな感じだったのだと想像する…
托鉢でその日に頭鉢に供養を受けた食べ物…それを食す自分の姿を想像しながら…現在の自分の行っている在り方、現実と対比する事で現代の坊主の生き方を自分なりに模索する…
「最近、司祭者を呼ばずに直葬が増えて大変だ…」
「コロナのせいでお参りの軒数が減って大変だ…」
等々、同業の僧侶と呼ばれる方々の嘆きが聴こえてくるが…
托鉢に出たものの頭鉢に何も食べ物の供養を受ける事が出来なかった…それくらいの心つもりが有れば別に大した事でも無いのだ。
「昨日は食べ物に有りつけず腹が減っているから今日は夜まで頑張って托鉢しよう…」
釈迦がそんな事を考え生きられたとはとても思わない…

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。