住職のブログ

押し付け無い生き方を模索する…

「◯◯するべき…」という自分の思い込みを他人に強要する姿を観る度、以前の自分を眺める様で苦笑いする…

 

相手から「是非弟子にして下さい…」と頭を下げて頼まれ、自分も腹を括って受け入れたならばいざ知らず…現代社会では殆どそんな光景は有り得ない…頼まれた弟子でも無い相手に諸々自分の考えを説き強要する事自体、価値観の押し付けでしかないモノなのだ。

 

 

子供世界の揉め事も、大人の人間関係の悩みも、世界の国の対立も同じで根本を眺めれば「価値観の押し付け」に起因している。

 

本来、自分の価値観など他人に強要するべき事でも無く、自分自身が善いと感じたモノゴトを日々の人生の中で実践する事くらいの事だと思っている。更にその姿を観た人間が感銘を受け自分も「あの様になりたい…」と思われるならば真似して頂けば良いくらいの話なのだ。

 

有難い事に自分の周囲には「こういう存在で有りたい…」と自分が善と感じる事を生き方で説いて下さる方々が多い…

 

 

身近には、長くお付き合いをしているうちの棟梁を観ていると、こちらの依頼に対して極力こちらの意向に添いながら経済的、身体的な負担を極力かけない様にその場に在るモノを活かし、たんたんと自分のやるべき仕事をされる。その姿勢は長年ずっと変わる事が無い。そんな姿を観せて頂きながら「自分も見習わないと…」と学ばせて頂くし、寺に見える方々や山内スタッフの方々にも学ばせて頂く事が本当に多い…

 

 

普段なかなか直接会う事が出来ない離れて暮らす、職は違うが尊敬する方々のブレ無い日常の生き方も、現代はSNSの発達のおかげで手に取る様に知る事が出来、自分に善い刺激を与えて下さる。

 

 

本来、この生かされる現世は各自各々、自分自身の人間としての修養…修行期間なのだと自分は思っている。自分以外の他人に「◯◯で有るべき…」と価値観を押し付ける事に情熱を燃やすより、自分自身の善を追求探究する…それを強要せずとも他人が真似たいと思って下さるならば自分の求める善への励みとなる…

 

 

個人的に、人間として最低限の道理から外れていると判断した時は例外として相手に説く必要は有ると思うが、その他に関しては余程の事が無い限り、自分自身の人間としての善への生き方在り方を模索し続ける事くらいしか愚鈍、愚僧の自分には出来ないと思っている。

 

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