和笑(おしょう)という仕事柄、人と縁が出来るきっかけはその家の何方かが亡くなられた場合が多い。
つまり起点は「仏様」となられた方で有る。
自分がやるべき事は、
「遺された家族の生活や精神的な部分をケアし安穏な日常に導く事で仏様となられた方が安心して休んで頂く事」
なのだ。
その遺された家族が安穏な生活を営む為の延長として、事業を営む家ならば、別の事業を営む相手と責任を持ってお互い良くなるならば繋ぐ事もやぶさかで無いと思ってやっている。
そんな人と人を繋ぎながら時々後で「失敗した…」と反省する時の共通点に今更ながら気がついた。
それは仏様を起点として忠暘院住職として知り合った方と自分個人として知り合った方を繋げた時なのだ。
縁有る仏様の家族と仏様家族同士とを繋げた時は「子孫家族の安穏の為仏様の力も有って成就する」が…
自分個人の知人を絡めた場合、無意識では有るがまだまだ自分の私欲が入り込む為、後悔する出来事が起こっていたのだ。
私欲…
私心…
モノゴトを成す時にこれほど邪魔なモノは無いと知りながら…知っているつもりになっていた自分自身に猛省を期す。
まだまだ自分の目指す場所迄の道のりは遠い…
心の在り方…置き方…
まだまだ未熟で有る事を自覚しながら…
反省の日々が続く…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。