住職のブログ

日々感じる事の1つ…

本来、「人→モノ(コト)→金」で動いていた。ここでいう「人」とは自分以外の他人を指す。心在る人は自分という存在を除外して自分以外の他人を最初に据えてモノゴトを構築した。

 

 

時代は変わり、「金→モノ(コト)→人」へと変化し、殺伐とした空気感になった。更に時代は、「金←→モノ(コト)」へとすっかり人(他人)が抜け落ち殺伐さに磨きがかかり人間不信を加える変化を遂げている。

 

 

モノ(コト)については時間をとにかく短縮されなければ評価に値しない(意味が無い)感覚が蔓延してきている。

 

 

以前、うちの顧問の大崎康博弁護士の自宅での世間話の中で、「今だけ…金だけ…自分だけ…」の三だけ人間について自論を語られ嘆いておられたが…3だけ人間が増殖し続ける世の中なのだ。

 

 

但、世間というモノは何時の時代も大勢の人間が参加しながら全体の空気を決め最適化ていくのが常で在るから、世間の感覚の中で自分以外の人が抜け落ち…3だけ人間が増えようと…それは世の中の大多数が選んだ結果で、その時代を生かされている人間にとっての最適化された状態なのだ。

 

 

別に自分は「昔は良かった…」なんて言うつもりも無く…「みんなで参加して現在(いま)以上に相互不信の殺伐とした世の中を不平不満を言わず立派に創っていって下さい…」と離れた場所から現実世界を眺めさせて頂く事に決めている。

 

 

但、そうやって距離を置き、眺めながら自分は自分自身が諸先輩方から教えて頂いた沢山のモノゴトの道理を自分なりに咀嚼し落とし込んできた事の中で正しいと思う事を具現化する作業をすると決め、現在やっているし、これからも今まで以上やっていくだけの事だ。

 

 

誰しも最終的に選び取るのは自分自身で有って、生かされている間、無限に選択肢は与えられている。但、齢(よわい)50歳を越えて感じる事は「人生で与えられている時間はあっという間に過ぎる」という事だ。

 

日々、陽は上り…そして陽は沈む…

 

当たり前の様な出来事の中で人間の人生をも説き続ける…

 

 

解らない人間は目の前で日々もの凄い事を観せられ続けても残念ながら説かれる意味すら解らない…

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