何時も、
「自分が気づき考える事なんぞ、とっくの昔に誰かが気づき経典の中に書いて有る…」
なんて思っている。
昨日、NHKの「維摩経」の番組を偶然つけたテレビで眺めながら…
自分の中にフツフツと湧いて有る程度自分に落とし込んでいる「相対的なモノの考え方を超えた向こう側に有る感覚」をとっくの昔に経典に書かれている事を知る事となった。
恥ずかしながら昔、大学という場所に通いながら、校外の社交世界を重んじた生き方をしていたバカ学生だった自分で有る…(そのおかげで未だ続く年配の友人が多いが…)圧倒的な専門の学が足りていない…
修行中よく老師が、
「行学一致…」
なんて事を言われておられたが、自分の場合、有難い(本来ならば無いハズ)事に、
「社会で行じていくうちに学が無い自分にも備わってきたのか…」
なんて思えてきた。
理解し「学」としたならば、次はまたその事をリアル世界で「行」で有る。
但、維摩経の説く「相対的なモノを超越した向こう側の意識」には還暦までは気づかない事にするし、そう決めている。
喜怒哀楽…
人間臭い現在(いま)の和笑(おしょう)の立ち位置を当分堅持していくつもりだ…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。