人間は日常生活を営みながら誰しもが自分なりの取捨選択を繰り返しながら、自分自身にとって最適化された状態を創っている生き物だとつくづく思う。
日常の不平不満を訊く事が有るが、眺めて観ると、その不平不満を言っている人間が自分自身で創り上げた最適化された場所に居ながら更に最適化された状態の中で不平不満を言っているのが不思議にすら思う事が有る。
以前はそんな不平不満を言っている人間の不平不満を取り除く事が自分自身の勤めだと勘違いしていた。
結論から書けば、第三者的立場の自分が動いたところで本人の自覚が無ければ一時的に自分が変化させても時間に伴って「元の状態に戻る」モノだと気づいた。結局は最適化された状態に戻るモノなのだ。
なんて頼まれて世話したところで、理由が在ってその状態になった人間はその理由を自分自身で心底理解しない限り結局は同じ状態に戻る…
何度も書くが、
「現在(いま)の状態はその人間が自身で望んでいる居心地の良い最適化された状態に存在している」
という事なのだ。
他人が心底望みもしない事をこちらから出向いて変えるなんて事はおごり以外のナニモノでも無い…
ましてや自分より年齢が上の諸先輩方の生き方ならば尚更の事なのだ。
人生の先輩で在る諸先輩方が経験に基づきながら数多の選択をし、最適化された状態なのだから若輩者の他人がとやかく言う事自体が失礼な話で有る。
他人の最適化された状態を中途半端な気持ちで動かしてはならない❗️
中途半端な気持ちで最適化された状態から動かしたならば、その後待ち受けるのは相手からの嫌悪で有る。