有り得ない事が起こる事を信じて…

教典や昔話の中で周囲に迷惑をかけていた人間がと或る事をきっかけに改心し善人になる姿が説かれている。そんな話を見聞きした人間は感銘を受ける。

 

 

誰にでも或る事をきっかけに別人の様になる事は当てはまる可能性は0では無いが…ほぼ有り得ない出来事なのだ。

 

 

誰にでも当てはまり100人が100人説話で説かれる様に簡単に改心するならば、当たり前過ぎてわざわざ教典や昔話で語り継がれ説かれ続けられる事は無い。つまりは説話では成立しない話になる。奇跡の様な稀有な出来事が起ったからこそ連綿と説かれ続けてきているのだ。

 

 

以前の自分は、人間、現世無常の世界を生かされているのだから、きっかけや人と出会い話を訊く機会などが有れば説話の如く価値観が劇的に変化するモノだと思っていたが…

 

 

現在(いま)は30歳くらい迄にその人間の心の核が出来上がり、その後の人生の中でその根底に出来上がった核で在る人格、価値観が変化する事は余程の事が無い限りほぼ無いと思っている。

 

 

少し書き加えるならば幼少期に祖父母や周囲から宗教的な種を入れられていればその種が芽吹く可能性は0では無い…(信心深い祖父母にお寺参りに一緒に連れて行かれた、日曜日には教会に家族で出かけた等…)そんな宗教的な種が入って無いならば、種すら無いのだから芽吹く可能性は限りなく0%と思っている。

 

ここまで文章を綴ってきたが…ほぼ0%とか限りなく0%と書いたのには意味が有る。絶対に0%では無いのだ。

 

 

ちっぽけな人間の思慮を超越した事は起こる…例えるならば、ニュースで見聞きするアスファルトに生えるど根性大根…無精卵のハズの店頭で売られている卵からヒヨコが孵化した等…有り得ない事が現世では起こるのだ。

 

 

最近は和笑(おしょう)の存在意義として、自分も含めて全ての生き物やモノゴトに対し佛神の加護がはたらき、有り得ない事が起こる事を信じながら佛神にお任せし祈り続ける事だと思っている。

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