未来へ流れる時間という止める事の出来ない事象の結果を常に眼に映されながら現在(いま)という瞬間を生かされている。
眺めていると、
「モノゴト全てにもれなく理由が有る」
事に気がつく。
話したところで結果が変わる訳でも無いので基本、静観を決め込む事にしている。
誰しも各々自分で良かれと思ってやっている事なので、即時、生命にかかわる重大事でも無い限り、他人で在る自分がとやかく口を挟む事でも無いのだ。
「何でこうなったんでしょう…」
なんて問われたならば、
「何ででも…です❗️」
と応えるくらいな事だと最近思う様になった。
これも山で自然と向き合う積極的引きこもりのおかげとも思っている。
そんな中、先日の49日自宅法要をお勤めさせて頂いた家で法要後に家族と世間話で盛り上がっていたら、お婆さんが、
「住職❗️世の中の道理ってコレですよねっ❗️(^^)」
なんて言いながら指を一本立ててみせたのだ。
阿吽の呼吸でお互いゲラゲラ笑ったのだが…
「お母さん❗️在家に居ながら坊さんじゃん❗️(^^)何時(いつ)気がついたの?」
なんて訊くと、
「昔、出産の時、生命獲られかけてね…朦朧とした意識の中で2つ楽な方と苦しい方の選択肢が有って…苦しい方選んだら生還出来たのよ〜!(^^)それから人生で選択しなくちゃならない事が有ると辛い方を選んでいたら気がついたのよ❗️(≧∇≦)」
なんて教えて下さった。
モノゴトの道理は1つなのだが、その事を理解されている方が茶飲み話をする中で見つかった。
最近、出歩く事を極力避けているが、たまに出掛けるとこういう凄い方との出会いが多い。
今回、世の中まだまだ捨てたモノでは無いと救われた気持ちになれた。
有難い良い出会いに心から感謝で有る。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。