住職のブログ

本来、当たり前は何一つ存在しない…

普段当たり前の様にしている行為を「誰に教わった事だったんだろう…」なんて考える事が有る。

 

生まれて直ぐは本能的に乳を飲むという事以外知らなかったハズだが…現在(いま)では当たり前の様にいろいろな事が出来る様になっている。

 

自分で食べる…

 

服を着る…

 

物の名前を言える…

 

 

ドアのノブを回して扉を開ける…

 

 

エレベーターでは用事の有る最寄り階までのボタンを押す…

 

 

もよおしたらトイレに行く…

 

 

本当に些細な事全て、現在(いま)は当たり前の様にこなしている行為だが、全て最初は何一つ知らず…出来なかった事ばかりだったハズなのだ。

 

 

誰かは忘れてしまった事ばかりだが…誰かが教えてくれた事、観せて下さった事に違いない…

 

 

「自分は自分独りでで生きている…」

 

 

そんな言葉を聴くが…

 

 

当たり前の行為と思っているその行為1つ 々 を掘り下げて考えてみれば、独りで勝手に出来る様になった錯覚、思い込みに過ぎない…

 

 

そんな勝手な思い込みが、周囲に対する感謝を忘れ、周囲だけで無く自分自身をも振り回すのだ。

 

 

当たり前のと思っているが、本来は当たり前では無い事に感謝をし…

 

 

当たり前の様に自分が出来る事を出来ない人間に観せ…語り…伝える…

 

 

生きている人間の営みとはそれくらいの事なのだ。

 

 

最初から当たり前に出来たと思っている人間が多すぎる…

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