気づいちゃった者の責任

先日の地元代議士のパーティに参加させて頂いた。来賓の挨拶で、

「声なき声に耳を傾ける…」

と話をされた方がいた。

声なき声…

現在(いま)は、自分でどう声を上げても良いかすら判らない人間に対して、

「どうしたら良いかの情報はネットの世界に無限に溢れている…無知なお前が悪い…」

と切り捨てられる…そんな世の中で有る。

自分は現実世界で縁が有った方が発している「声なき声」に気づいた時には、自分が出来得る限りの事を考え…実行する。

「そんな時間ばっかり取られて金にもならない事…」なんて言われる事が有るが、自分から言わせれば「金になる事ならば誰でもやる」事なのだ。

子供を持つ親として、

「金になるからやれ❗️」

「金にならないからやめておけ❗️」

という様な、そんな教育をする気も無いし、そんな姿を子供に観せる訳にはいかない…

「困っている人間に対して出来る限りの事をやる」

そんな姿を観せるのが本来の教育なのだ。

特に自分より若輩の人間が困っている姿とは、先に生まれた人間として、後輩が困る様な社会を創ったという責任が有るのだ。

まして昨年、許認可を受けた宗教法人代表役員の立場となった現在(いま)の自分は、それまで以上布施という浄財を更に綺麗なカタチで社会に還元させる責任が有るし、困っている方々に対して出来る事が増えたのだ。

自分という単なる一個人に与えられたモノ全てをフル動員して、世の中(特に自分より悪い世代に)対し、人間の生き方…活かし方を観せる事が先に生まれた者の役割だと教えていく…

心に有るのは…

「気づいた者は責任を担う…」

簡単に書けば…

「気づいちゃったお前が悪いんだからやれよ…」

で有る。

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