宗教法人

来慶山忠暘院

点で無く線で事象を眺めましょう…

点で無く線で事象を眺めましょう…

目の前で起きた事象(モノゴト)を捉える時、殆どの方々は「点」で捉える感覚しか持たない(持てない)のだと今更ながら気がついた。

 
更に「自分の価値観」のみを秤に相手に当てはめてしまう事から齟齬(そご)が生じる。

 
日本くらい狭い国土であっても一つの谷を隔てただけで人間の感覚は違う。

 
ましてや隣国ともなると流れてきた歴史が違うのだ。

 
権力を握る者が永年統治してきた人治国家に法治国家の概念を当てはめてもお互い齟齬が生じる事は必然なのだ。

 
自分の持つ「権力」を手放した途端、自分達権力の側に居た者の運命を知っている。

 
死を覚悟して「公」の為に生命(いのち)すら自分から放棄する感覚は日本独特の「名こそ惜けれ」くらいなのだ。(最近は日本人の中にも薄くなってきたが…)

 

 

「自分という権力を握る「私」の為に末端に広がる人間が存在する」

 

 

感覚を根底から植え付けられ信じて疑わない人間に、

 

 

「公で有る人間に支えられて一時的に権力を与えられている「私」が存在する」

 

 

そんな価値観を押し付けても相手に理解は不可能なのだ。

 

根本的にグローバル的な価値観を幼少期より入れ込まない限り、人間なんぞ価値観はその地域のローカルスタンダード状態なのだ。
最近の事象を眺めながら当たり障りの無いこちら側の正論とやらを流すテレビニュースを観て感じた事を書いてみた。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。