目の前で起きる出来事全てが、日々自分自身で蒔き続けた種が実りをつけて収穫を迎えているだけの話なのだ。
そこから何を学ぶか?
が重要な事なのだ。
人間の心理としては自分にとっての「良い出来事」「悪い出来事」に分けて、出来れば「良い出来事」が多い事を望む訳だが…
特に自分にとってのみの良い事だけを望む生き方を模索する人間にはその人間にとって都合の悪い沢山の「悪い出来事」が与えられている現実を見て取る事が出来る。
「何故?自分にばかりこんな目に遭うんだ…」なんて嘆く人間に出会うが、削いで書いてしまえば「気づかぬ限り何度でも❗️」で有る。
日々、自分の都合の悪い種を蒔き続けているだけの話で、立派な悪の実をつけて目の前に結果として現れているだけの話なのだ。
何時も書くが、
「人間個々の心の在り方でその人間の行動パターンは固定化される」
現状を打開しようと転職しようと…
引越して居場所を変えようと…
外的要因に活路を見出だそうとあがいたところで、最終的には同じ様な状況になるのが必然なのだ。
その姿はまるで、
「根本に気付きなさい❗️」
そんな人間の叡智などは到底及ばない大きな存在に示されている姿にしか見えない。
当の本人にとって、それだけ気づくきっかけの機会を、何度… 々…々…々… もまるで無限ループの様に与えられ続ける訳だが…
根本に気づく事の出来る人間の方が不思議と稀なのだ。
今迄の人生をリセットした様な気持ちで、
「次は上手くやる…」
なんて意気込んで挑んだところで、自分自身の心底に在る根本が変わらない限り、出来事自体は変わっても、同じ経過を辿り同じ様な結末を迎える事となる。
結論からすれば「性根(しょうね)」を変化させ無い限りどんなにあがこうが無駄な事なのだ。
そんな性根を根本から変えるには、
先ず自分自身で自分の中に宿る性根の存在に気づく事…
誤った性根に気づいたならば徹底的にその性根を根絶やしにするくらいの気持ちで立ち振る舞い言動…全てに注意し続ける事…
はっきり書けば、自分自身で自分の中に巣食う誤った性根を正す事は容易な事では無い…
気づいて性根を直し始めても、それまでやらかした事(蒔いてきた種)が実を結び、心をへし折りに如実に姿を現して目の前に現実として次々に突きつけられる。
殆どの人間はこの時点で諦めて頓挫していく…
それでも諦めずに、性根を直そうと良い種を蒔き続けた人間のみだけが良い果実の収穫を迎えることが出来る。
無理と思って諦めたならば、その先も確実に起こる数々の悪い出来事の実を素直に受け入れていくしか無いのだ。
断ち切る事が出来るのはあくまで自分でしか出来ないと自覚する事だ。
自分の人生で在る…
選ぶのはあくまで自分自身でしか無い…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。