徳を積む事が大切だと言われるが殆どの人間はイマイチ理解出来ない様だ。
単純な話「貸し」「借り」と言う言葉に置き換えて考えると解りやすい。
「居場所が無い…」なんて嘆く姿を眺めるが「居場所が無い=嘆いている人間のその場所で貸し(徳)が無い」だけの話なのだ。
貸し(徳)が増えれば増えるだけその場所での存在感は増大する。無くてはならない存在となり居心地の良い場所となるのだ。
家庭において主婦の立場ならば家族の食事を作ったり無償の貸し(徳)を積む機会が多いが、家族に対して無償の貸し(徳)を積み上げている事になる。家族にとって無くてはならないポジションが確立していく。
子供ならば手伝いをする…し続けていけばその家庭内でのポジションは自然と確立するのだ。
ダンナの家庭内でのポジションが低いのは外で働いて賃金を稼いでいる事に対する変な優越的な自意識が家庭内で「貸し(徳)」を積み上げる事を怠る事に原因を読み取る事が出来る。
結局、そのあてがわれた場所で如何に無償の沢山の「貸し(徳)」を積み上げられるかだけの話なのだ。貸しは金なんぞを貰った途端相殺されるので注意が必要だ。無償という事がなによりもキモとなる。もっと書けばその積み上げた「貸し(徳)」を忘れる事が出来ればパーフェクト、完璧に揺るぎないポジションが確立される。
貸す(徳)を積む事も最初は意識しないと出来ないが、時間をかけながら身体に染み込ませ当たり前に出来るかが肝要なのだ。
人間で在る以上、時々、「自分ばっかり損していないか?」なんて悪魔のささやきが心に湧いてくるがその悪魔のささやきを潰してさらに続けられるかがもっと肝要となる。(99%の人間はこの悪魔のささやきに負ける)
家庭で在ろうが会社で在ろうが…自分の居る場所で貸し(徳)を積み上げれば良いだけの事だが、悪魔のささやきに負け、せっかく積み上げた「貸し(徳)」を消費し始める人間が多い…積み上げた「貸し(徳)」を消費し終わり「借り」側に回った途端居心地の良い場所が無くなる。
最近では日産のゴーン氏の例は顕著な例だ。せっかく瀕死だった日産に絶大なる貸しを作り揺るがないポジションを得ながら悪魔のささやきに負け「借り」側になった。借りが貸しを上回った時点で被告席へと座る身となった。貸している事をも忘れ私心私欲を外し延々と貸し続けておけば「日産中興の祖」どころか世界の自動車業界で称賛され名を遺したと思うが…残念ながら人間とはそんなモノで在る。
貸して貸し続けて…貸している事も忘れるくらいになれば勝手に社会的評価は高くなる。ギブアンドテイクのギブのみ私心私欲を退けて心がけていれば、世の中に敵が存在しない本当の無敵状態…何処に行こうが世の中に不可欠な必要な存在となる。
誰しも自分の胸に手を当てて考えてみれば良い…
居心地の良い場所とは自分自身の「貸し(徳)」が多い場所だと気づくはずだ。
おまけ)
家で邪険に扱われているオヤジ仲間に教えるが金を貰える事ならば誰だってやる❗️家でのポジションを上げたければ家族に対する見返りを求め無い無償の「貸し(徳)」を積み上げる事をお勧めする。
続きはまた次回…(笑)
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。