「♫「夜の校舎、窓ガラス、磨いてまわった〜」
こっちの方が、逆らいつづけ、あがきつづけた、早く自由になりたかった本気を感じるよね。」
20年前からの知り合いで現在は仲良くお付き合いさせて頂いている友人さやか嬢の書かれた文章だ。
元詩となっているのは自分が憧れた今は亡き尾崎豊氏の卒業という曲で有る。
この曲を聴いた時、窓ガラスを壊してまわりははしなかったが、破茶滅茶な生き方をしていた自分は妙に感銘を受けた。
数十年が経ち大人となった現在…さやか嬢のこの言葉に感銘を受けた。
人がモノゴトを為そうとする時、独りで出来る事は限られる。
自分以外の誰かの協力がなければ成立しないのだ。
全てにおいて自分の意見を通そうとするならば、
「日頃黙々とあれだけやっているんだから、認めざるを得ないよね…」
なんて周囲が心から思ってしまうくらいモノゴトを日頃からやってこそ自分の意見が通る。
自由を叫びながら、みんなが建てた学校のガラスをぶち壊して周る人間の自由なんて認められる訳は無く、刑務所に放り込まれて不自由を強いられるのが関の山だ。
大体の人間が何もやりもせず自分の我を通そうとするから歪みが出る。
自分の意見が通らないと嘆く人間がいるが、嘆く事では無く、
「自分自身がやっているつもりになっているだけの事で、他人が認めざるを得ないほどやっていないだけの話なのだ。」
自分の意見…考えを通したいならば、単に御託を並べるより、認めざるを得ないくらいやり続ける事が一番の近道だと記しておく。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。