日々刻々と全てのモノゴトが変化している。
同じ場所から同じ川や海を眺めても変わらない風景と思いがちだが、そこに在る水も空気も全てが変化しているのだ。
ましてや人間なんて生き物は外見は変わりなくとも中身は変化する。
久しぶりに会った人間が以前会った時と全く変化していないならば、厳しい言い方では有るが、相手は思考を留めていると判断した方が良い。
本来、思考を留めて良い人間とは釈迦クラスの悟りきった人間だけなのだ。
誰しも内側の壁にぶち当たった感覚を時々おぼえるのは、
「内なる成長の証」
なのだ。
必死に…
本気で…
その壁と向き合っている人間に対して必然的な人やモノゴトとの出会いがおとずれる。
現状に満足し、内なる成長を止めた人間に対して割く時間は現在(いま)の自分にはまだ無い…
余命を生かされている事に気がついてから、
「現世で与えられた時間は有限…」
との見地に立っている。
但、自身の内なる成長の過程で壁にぶち当たった方に対してならば惜しみなく時間を割く事に決めている。
普段、考えている事をちょっと記してみた。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。