住職のブログ

自分という道具を使い切る…

「自分は無力…」

 

なんて言う方がおられるが、生きて(生かされ)いる間は常に「有」なのだ。

 

 

生かされている間、各自各々「自分」には「自分」という道具を与えられている事を自覚すべきなのだ。

 

 
本来「人が生きる」なんて事は…

 

 

自分自身が自分に与えられた「自分という道具」という事を自覚し、その道具を生かしきれる事が出来るか?

 
たったそれだけの事なのだ。

 
常に自分という道具を、

 
磨き…

 
自分以外の他の為に最大限使えるか…

 

それが本来人間が生かされる意味なのだと自分は思っている。

 
そんな単純な事にすら気が付かず…

 
自分という道具を活かしきれず…

 
臨終を迎えたならば…

 

 
無意味に人生を終えた事になる。

 

 

その事を誰もが自覚すべきなのだ。

 
決っして難しい事では無い。

 

 

誰にでも出来る単純な事なのだ。

 

 

何度も書くが、
この世に存在し生かされている「有」の間に、自分という道具を最大限化して活かしきる事…

 

 
人間生かされている間、「非力」では有るが「無力」では無い。

 

 

 

何もしなければ臨終の時に「人生最大の後悔」を遺す事を記しておく。

-住職のブログ

© 2020 宗教法人 来慶山 忠暘院