宗教法人

来慶山忠暘院

自己を最適化していく末路…

自己を最適化していく末路…

無常の世界を生かされている間、刻々と状況は変化し続ける。

誰しもあまり意識はしていないが、全ての人間は一日中起きている間、状況変化によって常に判断を迫られ瞬時に判断を降し続けているのだ。(最適化状態を創るべく判断し続けている)

 

時々、人生に詰まった状態になった方と出会うが…そんな方々の共通点は、

 

 

「最適化状態を構築する判断基準が常に「自分」に置かれている。自分にとっての最適化を創っている」

 

という事なのだ。

 

自分自身の最適化をやり続けると周囲を疲弊させる。疲弊させるだけならばまだしもそのうち反発をくらうのだ。(最近の例ではゴーン氏の例が解りやすいと思う。)

 

 

付け加えて説明するならば、人間が創る大きな枠組みで考えると、最近、大国と言われるアメリカが自国にのみを最適化させる姿を見る事が出来る。勢いの有る国で在るからある程度まではいくだろうが…他国にとっては迷惑な存在なのだ。勢いを失った時…単なる自国のみの最適化に付き合ってくれる国は存在しない。現在の大統領の感覚を続ければ、国という大きな枠組みで在るから数十年スパンで考えるとこれから先が心配である…

 

 

もう一つ例えを解りやすく書くならば、人間の創る社会生活を細分化していくと家族という単位になるが、そんな小さな社会で在っても自分という存在を最適化する為に他の家族が存在する様な意識立ち振る舞いをする人間が居ると時間と伴にそのうち瓦解する。

 

 

以前言われた「亭主元気で留守がいい!」なんて言われてしまう家庭しか築け無い家長もダメだが…言う妻も言う妻で在る。相手の力を削ぎあっている事に気づくべきなのだ。

 

本来、家族という身内といえども個々お互いが自分以外の他を最適化させる為に気配り出来るかが大切な事なのだ。

 

 

お互いが最適化させる事を意識して実行していれば基本、対立は無くなる。あくまで自分の力は他人を最適化させる為に使うべきなのだ。

 

 

自分以外の他の力を自分を最適化させる為に使ってはならないって事なのだ。

 

現在の世は、

 

「自分の力は自分の為だけに…他の力も自分のみを最適化させる為に存在する」

 

そんな考え方が主流を占める。

 

 

そんな現在の主流を占めている考え方が正しいと信じている人間の末路は殺伐とした孤独だけだと断言しておく…

 

読んで解らないならば…

 

行くところまで自分でお行きなさい…

 

で有る。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。