藪山から学ぶ事…

山を開墾しながら竹を切っている。

 

 

 

眺めているとタケノコとして生まれた状態から茎の太さが大きくなる事は無い事が観て取れる。

 

 
地下に広がる「根」が細いところからは細いタケノコしか出てこないのだ。

 

 

 

眼に直接見えない「根」を先祖に置き換えて眺めると同じモノだと思いながら眺めてしまうのは職業柄だと思う。

 

 
但し、ぶっといタケノコが竹になって伸びたところで伸びて行く先に有る先にはえている諸先輩ともいえる木々に阻まれると歪んで成長していくのだ。

 

 

 

数十年一切手入れされていない、集悠庵隣りの自分が開墾している山は全く空が見えないくらい木々が生い茂っているので、真っ直ぐ伸びている竹は皆無で有る。

 

 

そんな山に入りながら眺めると、現在(いま)の時代を投影されているとしか思えない。

 

 

 
深い意味も考えず、おざなりに個人主義、主権を振りかざし、我(われ)だけ成長してやろうと、必死になっているが…

 

 
勝手放題に枝葉を広げた山というより藪みたいな状態…

 
離れた場所から眺めて観ると哀れにすら感じる世の中と同じで有る。

 

 
正直、他の藪山まで開墾して手入れする気は今のところ無い。

 

 

押し合いへし合いしながら、空すら見えない…日も当たる事無くとも、それがフツーだと信じて生きる生き方も有りなのだ。

 

 
一つ教えられる事が有るとすれば…

 

 

 

人間は道具(智慧)を使い空を観る事くらい出来るし、足だってついているのだから移動出来るって事なのだ。

 

 

解らなければ…日の当たらない藪山の中でお迎えが来るのをじっと待ちましょう…で有る。

 

 

運が良ければお迎え前に誰かが藪山を切り開いてくれるカモ知れない…

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