宗教法人

来慶山忠暘院

誰の人生を生きているのか…

誰の人生を生きているのか…

時々、

 

 

「それをやらないとあの人からこう見られる(言われる)…」

 
なんて言葉を訊く度、

 

 
「何でこの人間は自分を主体にモノゴトを構築出来ないのだろう…」

 

 
なんて不思議に思う事が有る。

 

 
戦場に赴き、死生権を委ねた相手ならばそれを意識すべきと思うが、人間世界なんぞ何をやろうがやるまいが言う人間はその人間の価値観に鑑みて好き放題言うし思うのだ。

 

 

先ず、

 
「誰の人生を歩んでいるのか?」

 

 
って事を自分自身のアタマで考える事が重要だと思うのだが…他人に自身の人生を委ねて生きている人間の多さに、

 

 

「他人が居なくなった時この人間はは生きていけるのか?」

 

 

なんて心配になる事が有る。

 

 
「人が言ってた…」

 

 

とか、

 

 

「ネットに書いてあった…」

 

 

なんて言う人間の姿に、その人間自身の姿がこの和笑(おしょう)には見えないし感じられない。

 

 
自分らしくとは

 

 

「自分のアタマで考え自分で行動する事」

 

 
晩年になり、自分の人生を振り返った時、そう生きて来た人間だけが充実した人生だったと思う事が出来ると記しておく。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。