宗教法人

来慶山忠暘院

転ばぬ先の杖は迷惑な時代…

転ばぬ先の杖は迷惑な時代…

日々、全ての人やモノゴトを通して諸々教えて頂く…
最近、教えて頂いた事は、

 

 

「転ばぬ先の杖の「杖」は殆どの人間が必要としていない」

 

 

って事なのだ。

 

 

簡単に言ってしまえば、第三者から観て「転びそう…」「転ぶ」状態で有っても、本人はこの先「転ぶ」自覚が無いし「転ばない」と信じているので「杖」を差し出される事自体が迷惑なだけなのだ。

 

 

人間という生き物は、
「転ぶまで気がつかない」

 

 

「転んでも少し時間が経つと忘れる」

 

 

「自分で転ぶ原因を創っていても、他人のせいにする」

 

 

「転んでも転んだ事にすら気がつかない」
そんな生き物で有ると感じる事が多々有る。
人間で有るが故、諸々悩み転びそうな自覚が有り、本気で杖を探している方と出会った時には快く杖を差し出せる様に沢山の杖を用意はして有る。
気がついたからといって先に杖を差し出す行為は相手にとってある意味悪意と写る…
人それぞれ…
無常の世で有る…
冷たい人間と思われるかもしれないが、

 

 

「自分は転ばないと信じて、自己責任でお好きに生きぬく方はお好きにどうぞ〜」

 

 

但、杖は常に置いて有るが…

 

何度も差し出す事はしない…

 

 

ご自由にお持ち下さい…

 

 

で有る。

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。