宗教法人

来慶山忠暘院

都合の良い人間やり続けますか?

都合の良い人間やり続けますか?

「頼りになる人になる

当てになる人になる

でも

都合の良い人になる事は

全く意味が違う!!」

知人の北村氏の書き込みで有る。

現在(いま)の世の中を眺めていると本人は頼りにも、当てにもならない様な人間が都合よく他人を使おうとしている姿ばかりを観て取る事が出来る。

夫婦間でお互い都合よく相手を使おうとする姿…

親子(親子で在っても人格は別の根本は他人)間で相手を都合よく使おうとする姿…

友人間(本来なら友人と呼ぶべきでは無いが)で相手を都合よく使おうとする姿…

等々…

本来なら人間関係なんてモノはお互いが「頼りになる」「当てになる」そんな関係を構築する事が重要なのだが根本が揺らいでいるのだ。

「都合が良い」だけの人間関係を構築するから都合が悪くなればアッという間に瓦解する…

夫婦間ではお互いが相手の頼りになる当てになる関係を構築するべくお互いが自分自身で努力する事が重要なのだが、都合が悪くなればお別れする…

親子間ならば親は子供が世の中で頼られる当てにされる人格になる人間に育てるべきなのだが、殆どの親は自分の叶わなかった学歴や社会的地位なんぞを目指す子育てをして子供を壊す…

壊すだけならばまだしも、都合が悪くなったら縁切りする姿を観ると生きる為の術や愛情をかけて子育てをする動物の方がマトモに思える。

 

友人と呼びながら自分でも買わないモノを薦める…相手が興味を示さ無いと友達甲斐が無い…なんて平気でのたまう…

 

頼りになる、当てになる人間関係では無く、単なる都合が良いだけの人間関係だろうが…それすら言っても解らないからタチが悪い…

頼りににも当てにもならない人間同士がお互い相手を都合の良い存在として相手の力を削ぎ合う…子供の眼から観れば将来悲観しか無いだろう…

そんな世の中では在るが…ではどうするか?で有る。

単純な話、先ず自分自身が「頼りにされる」「当てにされる」そんな人間を目指せば良いのだ。

起きて目が覚めている間中、夫…妻…父親…母親…仕事に就けば職業人…先輩…後輩…友人…ポジションは常に変化し続ける訳だが、与えられたポジションを必死にやってやり続けていれば自ずと「頼りにされる」「当てにされる」様になっていく。

頼りにされるくらい…当てにされるくらい常に自分を磨き続ける…

そう成れないのならば一生都合の良い人間をやり続けて、ボロ雑巾の様に使い捨てされる立場に甘んじることを素直に受け入れられる人間をやるべきなのだ。

厳しい言葉かもしれないが…現実はそんなに甘くは無い❗

忠暘院

横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。