うちに新しく迎えた拓ちゃんから、
「ちょっと扱っていた機械の操作を誤って…」
なんて電話が入った。
怪我は無かったとは訊いたが、本人の姿を直接見るまで、
「本当は怪我しているんでは無いか…」
とか、
「怪我していたらご両親にあわせる顔無いな…」
なんて考えていた。
拓ちゃんの父上とは友人で有る。大切な息子を託された感が有るのだ。本人に怪我は無く安堵した。
そんな出来事の中で、
「目の前の1つの生命(いのち)と対峙する事は、脈々と受け継がれてきた生命の結晶と対峙している」
事に気がつかせて頂いた。
自分自身の身体も自分のモノだと考えがちでは有るが…本当は脈々と受け継がれてきた生命の結晶なのだ。
あくまで「先祖から託された身体」で有って自分だけのモノでは無いって事なのだ。
更に自分の事を冷静に眺めると…
現在の人格を形成する過程で迷惑をかけたり本当にお世話になってきた方々の存在を再確認した。
そのお世話になった方の中には実子はおられ無かったが、自分の事を実の息子の様に大切にして下さった方々もおられる。
鬼籍に入られた方々もおられるが、そんな方々からは「教えの生命(いのち)」を自分は託された存在なのだ。
そう気がつき…周囲を見渡すと、
「自分を取り巻く全ての生命(いのち)自体が自分と同じ存在」
だと同化して見えてきた。
今回拓ちゃんのおかげで、無意識では有るが、
「優劣をつけていた自分のくだらないフィルター」
の存在に気がつかせて頂いた。
拓ちゃんの父上から、
「息子をビシバシ鍛えてやって!」
なんて言われているが…
鍛えるどころか…
逆に大切な事に自分が気がつかせて頂いている状態なのだ。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。