全てのモノゴトには理由が在ると常々思う。
大成するにも理由が在るし、衰退するのにも理由が在る。
里山に入り、山を開墾しながら山全体を眺めると人の世と何ら変わらない事に気がつかされる。
以前、自分自身の思慮の浅い判断から、心底困ってもいない相手に対して良かれと手を出して何度か無駄な労力を嘆く目に遭った事が有る。
山でいえば少し弱った木を見つけ必死に掘り上げて、日の当たる場所に植え替えるみたいな感覚だったと思うが…
人間は自分の意思が有り自由に動けるので、元の日の当たらない場所に自分の意思で戻る生き物だと気がついた。
不平不満を言いながらも、元の日の当たらない場所が本人にとって居心地が良い場所だったりするのだ。
そんな人間の本質を知ってから、
本来、無常の世界を生かされているのだから他人がとやかく手を出す事自体がおこがましい事…
山に在る木の如く…
立ち枯れ、根腐れして枯れようとも微生物に分解され次の生命の糧となる存在くらいのモノ…
そんな事だと眺める事に決めている。
心底困っている相手がわざわざみえたならば、自分如きが知り得る事くらいは話しはするだろうが…
自分から出しゃばり出る事自体が、自分の分(ぶん)を超えているのだと気がついた。
山から世の中を眺めながら…
他人の迷惑にならない事で、自分がやりたい事を自分なりに考え実践していく…
そんな事を雨降りの日にふと考えた…
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。