人の性格を例える時、
「アイツは風見鶏だ…」
などと悪い例として使われる事が多いが、屋根に据えられた風見鶏を観察してみると主軸はズレていない事が観て取れる。
主軸はズラさず…回りながらも風を正面に受けようとしているし、無論、表情を崩す事も無い…
自分は、
「主軸が折れる事の無い風見鶏的生き方」
が理想と思っている。
森羅万象…
本当の風を五感で感じ…
そして読み解き…
正面で風を受けながらもスマートに流してしまう…
風見鶏と呼ばれる人間を観察してみると、殆どは主軸すら無いのだ。
風見鶏では無く、風に飛ばされるゴミ屑と何ら変わらない姿を観て取る事が多い…
そんな人間と同じに扱っては、風見鶏に対してあまりに失礼で無いかと常々思う。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。