「人間として生きる為に本当に必要なモノを身につける為に有限で貴重な人生の時間を費やす」
人生を振り返れば…自分の場合、小学校の頃から自分で考えながら試す感覚が有ったせいか周囲には多大な迷惑をかけていたと思う。
学校は勉強をしに行く場所だからと朝の朝礼なんぞは要らない…と判断して1時間目に間に合う様に登校する…。土曜日は半日しか行かないのだから登下校時間が無駄と判断して休む…等々…現在どう考えてもその頃の自分は社会不適合者だったと思う。
授業も自分の興味の有る事しかやらなかったので、小学校5年まで自分の名前を漢字で書けなかったし、将来、海外になんぞ行く事も無いだろうと英語は全く興味が湧かず中2までA〜Zのスペルが書けなかった。
唯一、社会という授業は好きだったから歴史、地理なんぞの本を読む為に漢字を覚え、地図を見開き土地を想像し過去の人物がその場所で何を考えていたんだろう…なんて空想する日々だったのだ。
そんな基礎学習レベルしか身につけ無かった。その後も現在に至るまで生きる為に必要、自分が知りたいと判断した事のみを書籍を取り寄せたり、友人知人に尋ねたりし、その時々身につけ続けてきたがそれまでの学が足りない事で心底困った事に遭遇した記憶は無い。
専門の知識が必要な資格を取り士業を生業にするならばまだしも、世の中に問うが「テストの点数で一喜一憂した学んできた事を生かす生業に就いている方がどれくらいおられる?」と思う。
現在の世の中の価値観を否定する様で悪いが「解の有るモノのその解に到達するまでの時間と正確さのみを競う事で優劣序列をつけたところで大した価値は無い」と自分は思う。それが人生を全うする唯一の手段として一生続けていけば良いと思うが社会に出てみれば解無き解を求め続けるのだ。学なんぞ基本の読み書きソロバン(算数の計算)で充分で、もっと大事なのは「モノゴト」「デキゴト」に遭遇した時の対処する考え方だろう。
「勉強しておけば自分の人生は違ったモノになった…」そんなモノは単なる妄想で本当に必要なモノはあくまで考え方…思考だと思う。「とりあえず勉強してさえおけば良い…」「テストで良い点さえ取っておけば良い…」そんな思考で勉強とやらを子供に押し付けるからアッチコッチに歪みが出るのだ。
「人間は何故学ばなけばならないか?」の根本を自分自身で熟慮し学ぶ事の本当の大切さを自分で納得理解も出来てもいない輩が他に偉そうに言うなって事なのだ。本日に理解出来ている人間ば日々隙間時間でも学び続けている。
《おまけ》
「教育無償化で全体の学力を上げる」なんてアホな公約を掲げる政に関わる輩がいるが、居るだけで卒業出来るレベルの学歴さえ有れば何とかなるならば紙切れ一枚渡して喜ばせておけば良いのだ。本当に学びたい人間は自分で考え学ぶ。