この時期、庭の枯葉掃除をしながら、

 

 

「役割りの終えたと思われがちな一枚の葉っぱを生かす事」

 

 

を考える。

 

 

この時期、街中のゴミ捨て場にビニールに入れられた落ち葉を観るが…

 
腐葉土となる原材料を化石燃料を使い焼却処分する現代人を農耕民族で有る先祖が観たらおったまげる出来事だと勝手に想像するのだ。

 
本来、生命が宿るモノは役割りを終えた後も次に再生する力を持っている。

 

 

昔ならば当たり前で有ったハズの再生する力を読み解け無くなった現代人は本当に進歩しているのだろうか?

 

 

合理化の名の下、ゴミと名付け体積のみを小さくする事に心血を注ぎ、償却後の灰の置き場に右往左往していたりする姿は正直滑稽では有るが…それが文明社会のフツーと信じている方々に語ったところで理解されない事だと思っている。

 
二進も三進もいかなくなるまで進化、進歩と信じた道を進んでみて…

 

 

モノゴトは本当はシンプルなモノだと気がつく日が来るのかは正直知った事では無い。

 
本来、シンプルなモノをアタマが良いと勘違いしている人間が複雑化して悦にいる…

 
人の世とは摩訶不思議なモノだと常々思う。

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