春休の間、息子たちが集悠庵に手伝いに来ていた。
最初は、
「何すれば良い?」
なんて訊いてくるので、
「本当に必要な時は指示するけど、後は自分のアタマで考えろよ❗️(^^)」
なんて言い渡しておいた。
大企業の様な各部署に細分化された仕事と違い、うちくらいの規模ならば、その場所に入って最初は判らなくともモノゴトを観る眼さえ3日も有れば、
「その場所がどう動いているか」
が解ってくるモノなのだ。
後は常に時と場合によって必要とされるポジションに自分をはめ込んでいけば良い事なのだ。
それが出来ないならば、その場所に居る意味が無く、
「事業運営上、単なる邪魔な存在にしかならない」
という事なのだ。特に身内に対して3日経って何も理解出来ないくらいならば、
「もう来るな❗️来るならば一般の訪問者として来い❗️」
で有る。
自分のアタマで考えられないのならば、指示されるままに動き、常にマニュアルを経本や聖書の如く大事に抱え、それを外れさえしなければ良いと称される場所は沢山在る。まして最近人手不足と言われる世の中なのだから先々そんな場所で生きていけば良い事なのだ。
自分が想い描く人間の在るべき姿とは、
「損得だけを考え、善悪を省みる事無く、くだらないマニュアルだけを信奉する人間」
では無く、
「バランス良く損得をも踏まえて考えながら、善悪をわきまえ、マニュアルをあくまで基準としながら臨機応変に対応出来る人間」
で有る。
現在(いま)の時代「人はいる」が「人材がいない」世の中で有る。
これから自分がやるべきことは世の中に対して人材となるべき人間を育て上げ、世の中に戻す事だと思っている。
手始めは自分の息子たちで有る。
気がつくと…
長男は空いた土地で畑を作り始め、昨日は棟梁の造っているやぐらの上棟の立てる柱を棟梁の横で支えていた。
三男は「休憩の時みんなでお茶する時のテーブルが欲しいな…」なんて言っていたら山から切り出した竹でテーブルを作った。
「金になるからやる…」「金ならないからやらない…」「損だ…」「得だ…」そんな世の中を闊歩する下らないレベルの低いフツーとやらの価値観では無く、先ずは人間として生きていく上での基本中の基本で有る、
「自分の持つ力を他の人の役立つ為に使う」
そんな事を教え込む。
後の応用は基礎が出来てからで有る。
世の中のフツーと呼ばれる価値観に染まり抜いた人間の凝り固まった価値観をほぐし直し、再構築し直す事に情熱を傾けるにはあまりに力が要り過ぎる事に気がついた。
まだまだ柔軟な心を持つ若い世代へ…
大切な事をマニュアル方式では無く、身体に染み付く様に教えていく。
横浜市緑区のお寺です。
よろしくお願い致します。